自信の仮免許
たとえばあなたが仕事でもなんでも、新しい企みを任せられる人を探しているとする。候補者はふたり。
片方は『ワタシこれ、誰よりもうまくやる自信あります。やらせてください。』と力強く宣言し、もう片方は『正直、こんなことやったことないしまったく自信ないです・・・』と弱腰。
こんなとき、あなたならどちらの人にアナタ仕切ってね、と任せるだろうか。大方の場合は前者なのだろうけど、僕は後者の人のほうが適任なのではないだろうか・・・とまず思ってみたりする。なにも天の邪鬼ぶっているというわけではなく、なんだか「自信」という言葉をあまり信頼できないから、というのがその理由。
自信というのは情報のひとつであって、それを持つことによって自分を支えることができるようになるものだ。そして情報というのは、そのことについて自分がどれだけ知っているかではなく、自分がそれについてどれだけ知らないか、を知ることでその質が規定されるものだと思う。なので、根拠はどうあれ自信がありますと言われると、観光客がその国のすべてを語るようなことになってはいないのかと、少し不安になる。
それでももちろん、自信は大切だ。個人が持つ工夫と知恵、そして経験に裏付けられた自信は尊いし、誰も奪うことはできない。しかしながら、なんだかまわりを見回すと自信が持てない、ということに頭を抱えてしまう人が周囲の若い学生に多く、そんなこと実績がないのに悩んでもしょうがないのになと僕は思うのだ。
なんだか冒頭とまるっきり矛盾するようだが、僕が自信という言葉をどう思うかは放っておいて、そういう方たちこそ、『根拠のない自信』を持ってもよいのではないだろうかと思う。
山本直人さんが2011年2月のブログにこんなことを書いていた。
「根拠のない自信」は、「仮免」のようなものだ。若いうちから、「真の自信」を持つことは難しい。だって、経験が浅いのだから。だから、仮免によってとりあえずの自信を持つことは、実は大事なことなんだと思う。問題は、その仮免のままで人生を乗り切ろうとして、たまたま40代まで来てしまったような人であって、これはたしかに困る。でも、「根拠のない自信」を手にいれらないまま、潜在能力を活かせない学生も多い。これは、もったいない。
「根拠のない自信」を「仮免」とする、さすが直人さんらしい面白い表現でヒザを打った。直人さんは就職活動にフォーカスして書かれているが、然るべきものはあとからついてくるだろうからとりあえず免許を前借りして一般道路を走ってみよう、という態度はどんな場面でも有効だと思う。
そして付随して、「自分に足りないのは自信だ、あそこに到達すればそれを獲得できて、それがあれば人生がうまく廻り始めるのだ」という仮定を組み上げてしまう態度にも気をつけたほうがよいのではないだろうか。交換条件つきの報酬(これができたらこれをあげる)と、それをゴールにすることをクセにすると、ステージが進む度にどんどん辛くなっていく。やっぱり、いまある手持ちのカードで戦い、精一杯楽しむしかないのだ。
なんだか説教臭くなってしまいましたが、そんな偉そうなこという私はSiriと毎日英会話の練習中。いまだにSiriさんはgirlをgodとしか認識してくれず、自信喪失の毎日です。最低ここだけは認識してもらえるようになるのが今年の目標です。低っ!
次回はハンバーガーネタでも書きたいと思います。バーガーチケットもよろしくね。