アドバイスをと言われましたが

モヤモヤしている若い人にちょっとアドバイスを、というのが昔から苦手だ。自分は大学生のころ散々オトナたちに面倒見てもらったくせに、いざ自分の番になるとできることなら避けたいなとすら思ってしまうから、人は自分勝手だと思う。

が、アドバイスと称してウチの会社においでよと若い人を騙す口説くのは超大切な仕事だろうし、たかだか10年くらいでも先輩としての知見をばばっと端的に伝えられないのもオトナ力の欠如だよなーといつも思う。

で、今日In-N-Out Burgerでひとりでチーズバーガー(アニマルスタイル)食べながら、こんなんではいかんと思い立ち、クルマからラップトップを引っ張りだして油まみれの手でぱちぱち打ち始めたのでこのまま書かせていただきたい。

とはいえ、なんだか、なかなか難しいなと思う。どこぞのジョブズさんみたいにHungryでFoolishで好きなことをやりなさいと発破をかけるのは簡単だが、あまりに全指向的すぎる。自分も少なくともいままで好きなことだけやって楽しくやってこれたが、いろいろな意味で恵まれた環境にいたし、それをオールマイティなメソッドとして語るのは、非常に抵抗がある。

そして努力。なにかにかじりついてとにかくユニークネスを磨け、というのは本当に大切だと思うのだが、現実的かというとわからない。なにより、努力と報酬の相関は曖昧だ。努力には意味がないとは言わないが、努力してもどんな報酬がどんな形で、いつどの程度もらえるのかは事前にはまったく予想がつかない。

そもそも受験勉強も学歴も国家資格もすべて無価値、というくらいまでカオスな世の中だったらみな潔くなるのだが、ふと周りを見てみると歯を食いしばって報われると信じて努力して報われた人がたくさんいるし、傍からみてとてつもない努力を投入していて進入角度も思慮深いのに、なかなか報われない人もいる。どちらの分岐を辿るかというところに再現性や法則性がないので、うーむと歩みが止まってしまう人がたくさんいるのも、まったくもって無理はないと思う。

でも、それでも、それでもやっぱり『努力』とか『報酬』とかそういう概念を全部忘れちゃうようなことにスイッチが入らないうちは、人生ってちっとも楽しいものにならないということだけは揺るぎない事実だなと思う。でも難しいのは、スイッチが入りかけても、その好奇心や興味や欲望という素材を、どうにか調理してお皿に載せてあげないと、他人にも自分にもそれがなんだか分からなかったりする。

つまりは、自分なりの表現方法を見つける必要があるということだ。それは例えば一人で漫画を書くことかもしれないし、会社を経営することかもしれないし、絵を書くことかもしれないし料理やダンスかもしれない。星の数ほどあるし、自分で創りだすこともできる。だから僕は、特になにも興味がないんですという人がいても、それは興味を表現する方法がまだ出会っていない&見つかってないだけなのだな、と思うことにしている。

僕がスタートアップや新しいことをやる人を見るのが好きで、できる限りそういうところに身を置いておきたいなと思うのは、人が自分を表現する方法が新しく生まれる場を目の当たりにできるからである。

AirBnBのお陰でおもてなし好きの人がホテルに勤めなくてもホテル業を営むように自分を表現できるし、Cookpadのおかげで自分のレシピが人の食卓にポジティブに作用できる、自分を表現できることを知る(CtoCウェブサービスを挙げた恣意はない)。そういうことって超素晴らしいことだと思うので、新しい仕組みや試みが出てくるたびに、どんな人が何を表現したくてやっていて、同時にこれは誰にとってどんな新しい表現方法になりうるだろうか、と考えるのは楽しい。

話がだいぶそれましたが、やっぱり誰かにアドバイスを、と言われてもぜひ楽しいことを、そしてやるなら平凡ではなく流石と言われる境地を徹底的に目指そうよとしか言いようがないので、こんな記事を書かなければよかったといま思っているのですが笑、だいぶ風呂敷広げてしまいました。

ま、こんなこと書くヒマあったら自身が何か新しいことやろうぜーと企てたり誘ったりすることで人と作用していきたいし、誰かを誘って、そこから興味が生まれ、行動がうまれたり、コラボレーションが生まれたら、いちばん嬉しいなと思います。とゆーわけで、精進します。

28. January 2014 by admin
Categories: Ichizon | Comments Off on アドバイスをと言われましたが