夢についておもうこと

今年もUSオープンテニスを見にNYに行くことにした。錦織がどこまで食い込めるか、そしてアメリカのテニスファンを味方につけることができるか、今から楽しみだ。

錦織といえば、日本ではこんな駅広告が掲出されていたらしい。なんてことのないイメージ広告なのだが、これを観たとき僕は大きな違和感を持った。何に違和感かというとキャプテン翼ばりに高く舞ったエアK(死語)ではなく、そのコピーだ。

僕にはまだ足りない。
速くて重いサーブ、
勝利への想像力。
僕にはまだ足りない。
だからまだ、強くなれる。

僕にはまだ見えない。
グランドスラム、
世界No.1への道。
僕にはまだ見えない。
だからまだ、夢が見られる。

「夢を持たない人はダメだ」という、とても暮らしにくい世の中になってしまった。本屋に行けば「夢を叶えるうんたらの方法」とかそういったタイトルの本がゴマンと並んでいるし、一流のスポーツ選手や経営者にマイクが向けられれば、「夢を持てば人は頑張れる」みたいなことを言う。そう、夢をもつ人間はキラキラ輝き、周りを惹き付け、大きな事を成し遂げられるというのは、社会的なコンセンサスのように見える。

でも同時に夢という言葉はいろいろなことを隠蔽する。夢に責任は発生しない。笑顔で夢を語っていれば、周囲もうんうんと頷いて聞いてくれる。そして夢は実現しなくても怒られないし、夢のまま終わってしまっても誰のせいかもよくわからない。でも本当に夢のようなことをやってのける人は、それが夢だったなんて決して言わない。

錦織にとって、グランドスラムに向けて努力することは夢なんかではなく現実であり、当たり前に備えている目標であり、彼の存在証明だ。彼はメディア対応が得意なタイプではなく(当然言語もあるけれど)インタビューでは『やっぱり世界No.1が夢です』と言うこともあるが、彼は夢とかそういう言葉がもっとも似合わないタイプではないか。

誤解してほしくないのだが、夢を持つことが悪いとかそういう主張をしたいわけではまったくない。ただ、小学校を卒業する時点で日本を飛び出し、フロリダの郊外で脇目もふらずにテニスだけに人生を捧げ、海外転戦を続けてきた世界トップ20の彼をひっぱってきて『だから、まだ夢が見られる』なんてコピーは少々、安っぽすぎるなと思ってしまうだけだ。

ここ数週間はあまり調子が良くない、とコメントしている錦織。ニューヨークで快進撃してくれることを期待しています!

18. August 2013 by admin
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