Cold Beer Beautiful Girls
Somewhereを見る度にEd Ruschaの “Cold Beer Beautiful Girls”に目を奪われる。
今日はじめて知ったのだが、実はこれは Steven Dorffが映画撮影中にEdのスタジオにいったときにちょうどプリントを制作中で、Sophia CoppolaもEdのファン(パリのアパートにDennis Hopperを所有しているらしい)だということで、映画のセットに使おうと持ってきたらしい。
Chateau Marmontに早く行きたくてたまらない
STUTS
まったくピアノを弾けないが、幼い頃に一瞬だけ習ったことがあり、そのときまったく解せなかったのが、休符である。なぜ音を出さないのに楽譜に記載するんだ、と混乱した。
少し年齢を重ねると、音楽に限らず、休符 (rest)は助走になったり、余韻になったり、よい流れに欠かせないものだとわかるようになってきた。
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昨晩はSTUTSがBACK TO MY ROOTS – 自身のルーツとなるDJセットをやるというので見てきた。
自分MPC叩く前はDJやってたんです、アナログでDJなんて何年振りだろう
と言いながら一曲目のATCQのBuggin’Outからはじまり、Pharcyde、Common、Eminem、Snoop Doggの合間にMicrophone Pager、BUDDHA BRANDを挟む。オーバーエイジ感涙の選曲。
30分くらいで会場を後にしたのだけど、あのあとの展開が気になる
いいDJは、ミックスの巧拙だけではなく、いいタメというかブレスというか、休符があるものですね
Presenceの松たか子が歌う部分も、歌謡曲的なタメが好きです
Mame Personal Archive
数週間更新が滞ったことは誠に遺憾です
#10mamekurogouchi @長野県立美術館!! 10年間の創作活動に横たわる通奏低音を、10のキーワードで紐解く、という企画だったのだが、ほんと素晴らしかった。
日記ノートや陶器の破片、擦れた小説、旅先のスナップまで、ありとあらゆるパーソナルアーカイブ=彼女のヴィヴィッドな経験を垣間見ていると、彼女にしかできない創造への喜びというか、愉楽を感じる。
愉楽的なことは、探求の先にしかないし、科学的な努力と、積極的な意志がなければ、成立しないものなので、途方もない試行錯誤の対価を露わにされて、ぽーっとしながら帰りました。常設の霧の彫刻のせいでもある。
写真は、青。
外野
最近、「外野がとやかく言うことではない」という態度はことさら大事だよなー、とサウナ友達(今っぽい括り)と話した。
あなたがそれを信じていて、大好きで、没頭できるのなら、それは才能とも呼べるし、誰にも奪えないことだから、やり続ければいい。
そう言うふうに、外野は黙ってろ!とノイズを遮断できることは、とても大切なサバイバルスキルなのだけど、なかなか普通の教育的な枠組みと馴染まない。少なくとも自分はそうだった。
しかし外野は黙ってろ、という語源はなんなのだろうか。野球人からしたら、長打が出た時に外野抜きでは試合にならないので、外野も立派なナインのはずである。
とすると、外野とは外野席、のことだろうか。しかし応援に来ている外野席のファンは大切なコミュニティの一部なのだから、それをないがしろにするのもいささか同意できない。
誰か語源を知っていたら教えて欲しい。
今日も渋谷駅のここを通った。見るたびに自分の中に毒を持て、という感じになる。
全ての装備を知恵に置き換える
『全ての装備を知恵に置き換える』のだ、というフレーズが、イヴォン・シュイナードと石川直樹の会話で出てくる。
イヴォンに言わせれば、世の中に溢れるモノに背を向け、Tシャツにショーツ姿でEl Capitanを登る人こそが世界で一番素晴らしいクライマーだという。なにかとギアを揃える自分とは正反対だ。
ちょうどそれを読みながら訪れた森のなかのピザ屋も、完全にセルフビルドで居心地がよかった。しらすのマリナーラとほうれん草豚バラ肉のピザを食べる。
未舗装道路を通るので注意。中軽井沢CC目指していくとわかりやすい。リアエウ、で検索。
旅する人の文章は、旅へ誘う力がある。
愛って
10代のとき、貪るように音楽を聴き、ライブハウスに足を運んでいたのは、音楽が自分にとって本当に必要で、切実な体験だったからだと思う。
今は歌詞に共感するとか、懐かしいとか、いわば趣味的に音楽を聴くようになった。
趣味的なことが悪いことではないが、絶対生活に必要だという切実なインプットを欲し、情報を貪る時のほうが、快楽がある。
先日、駒沢のnicoで、10歳年下のミュージシャンの友人とテラスで会った。音楽が自分にとって切実なインプットではなくなったのはなんでだろうと尋ねたが、音楽が生業である彼には愚問だったなあと、あとで反省した。
で、彼が、我々夫婦の特別な時に歌ってくれた曲があるのだが、それを別のアーティストに楽曲提供することになり、新しいアレンジのもと、ちょうど今夜公開されるのです、というので、夜にイヤフォンで何回も聴いた。
とてもいい曲なので、音楽を必要とする瞬間があって、自分がいままで知らないことを知ることが好きな人に、もっと届くと良いなと思う。
adieu (上白石萌歌) – 愛って
@moka____k
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作詞作曲 古舘佑太郎 (原曲 僕から君へ)
@furutachiutaroo
編曲 Yaffle @yaffl3
@the_firsttake のYoutubeにて視聴
100点未満
ワクチン接種率をあげるのは容易ではなさそう。在庫と強いオペレーションが揃っていても、市民への促進マーケティングが疎かだと集団免疫獲得は難しいとCさんが指摘していた。米国でも2-3割はワクチン接種拒否がいるので、日本でも接種率50%以降からは、ゲームのルールが変わり、一気に難しくなる。
ちょうど連休に『失敗の本質』を読み直した。曖昧な目的、組織内の空気によって決定される作戦、一方通行の権威主義、厳しい現実から目を背けがちな文化、などはいつ読んでも示唆がある。海の向こう米国の友人に聞いたら、彼がいる大学院では学生と、その家族みなファイザー/モデルナのワクチンが打てるようになり、事前予約ももはや不要で、国籍や保険の有無も関係なし。9月からは学生の接種も義務化となる。日本の状況をどうこう言うつもりはないが、やはり100点とれる方策ができない限り動かない国民性、というのはあるよなー
この写真は「100点じゃなくても写りゃいいだろ、写真なんだから」と、助手席からContaxT2で撮られた写真なのだが、これがかおたんラーメンだとわかる人は流石にいないと思う。
ギフトのルール
以前ギフトの会社を経営していたことがあり、そのときは年がら年中、いつ誰が何を誰にいくらくらいの予算で贈るか、ギフトコミュニケーションにおける課題をどう解決しようか、というようなことを考えていた。
当たり前だが、ギフトに正解はない。有名ブランド品をありがたがる人もいれば、モノはもう要らないから止めてくれという人もいる。高価かどうか、というのも人によって捉え方がまったく違う。
ただシンプルかつ決定的な「ギフトのルール」は、名前も顔を思い出せないような人からのプレゼントは鬱陶しいだけで、快く思っていない人からのプレゼントはまったく嬉しくない、というそれだけのことである。だから大切なのは、何を贈るかではなく、相手と望ましい信頼関係が築けているかどうかだけだという、身も蓋もないことになる。
昨日は母の日の週末なので、The Little Shop of Flowersで芍薬と、ファーマーズマーケットでOmeFarmの蜂蜜を買って、届けに行った。母はヨーグルトに蜂蜜をかけて食べるのが好きらしい。よかった。
母は、ワイドショーで仕入れた変異株情報を、速報かつ脅迫じみた文面で我々家族にいつも警告しながら伝えてくる。ちょっと疲れる。
ただ、いままでの人生を思い出しながら、最近は母の言うことをちゃんと聞くようにしようと思った。母の言うことは、全部ではないけれども、しばしば大切な真実が潜んでいると思うからである。